スタッフ紹介
院長 齋藤 倫仁 <さいとう とものり>
経歴
・滝川第二高等学校
・平成医療学園専門学校
・神戸東洋医療学院
資格取得
・柔道整復師・鍼師・灸師
得意な悩み 首・肩こり、腰痛、膝痛、オスグット(成長痛)
得意な施術 手技全般、ボディメイクトレーニング
経験スポーツ サッカー、野球、剣道、フットサル
アロママッサージ(アロマセラピスト)
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~ STORY ~
齋 藤 倫 仁 物 語
運動大好きサッカー少年
私は体を動かすことが大好きな子供でした。
サッカー、剣道、野球、スキーにスノーボード。1年中何かしらのスポーツをしていた学生時代。
多くのスポーツの中でサッカーは別格でした。朝早く起きてボールを蹴ってから学校へ行く、帰ってきたらすぐに公園へ行き真っ暗になるまでボールを蹴って帰ってくるという毎日。
年齢が上がれば上がるだけ、どんどんとサッカーに魅了されていきました。
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ケガの絶えない日々
毎日楽しくボールを蹴っていましたが、私にはケガが絶えないという悩みがありました。
試合のたびに大なり小なりおまけのようについてきて、ケガをすると大好きなサッカーができなくなるというストレスがとてもつらかった思い出があります。
心に残る出来事
中学3年生最後の試合直前にまたしてもケガをしてしまい、出場が難しそうな状態に。
何としてでも、どのようなことをしてでも出場したい。監督に懇願すると治療院を紹介していただきました。
その治療院で治療してもらうこと3回。まともに歩くこともできなかった状態が試合に出場できるほどの状態になったのです。
試合には出場しましたが、結果は敗戦。しかし、この時の感動は私の心に深く刻まれました。
初めての挫折と新たな出会い
高校生になり、サッカーで有名な学校に進学するも、そこは強豪校。事前のセレクションに合格した生徒しか入部はできないと言われ、私がサッカー部に入ることは叶いませんでした。
サッカーができないという絶望感にさいなまれていた時、フットサルと出会ったことによってまた自分が打ち込めるものができ、部活でサッカーができなかった青春をフットサルにぶつけたのでした。
夢への第一歩
高校で進路を決める時期になり、どのような仕事がしたいのかを考えた時、ケガから救ってくれた治療院での感動がよみがえりました。
私と同じような思いをさせたくない。選手の支えになれる存在になりたい。
選手のケガを予防できて、もしケガをしたとしても早く治すことのできる人になる。
その思いからトレーナーを目指そうと決意し、新設のスポーツ大学を受験しましたが、結果は残念なものに。
どうしようか頭を抱えていた時に、チームの先輩から国家資格の柔道整復師というケガを治す職業があると聞き、その入り口からでもトレーナーは目指せるのではないかとアドバイスをいただいたことで、大阪の専門学校に入学しました。
修行の日々
それからは朝から治療院で働いて、昼休みに学校へ行き、終わり次第また治療院に戻って働く毎日。
仕事が終わってから治療の勉強、練習をしてもらい、帰るころには日付が変わっているということも少なくありませんでした。
自由な時間の多い大学生を横目に、毎日遅くまで仕事と勉強の毎日だったのでうらやましくも思いましたが、そこは自分のためだと言い聞かせ、歯を食いしばって3年を過ごしました。
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国家資格取得
無事に柔道整復師になり、整骨院で働き始め、不調を抱える多くの患者さんを診て、新たな気づきや発見が数多くありました。
そして、以前自分が所属していたチームで、関西フットサルリーグに籍のあるチームにトレーナーとして所属し、念願だったトレーナー活動もスタート。
現場でのケガや選手のコンディション作りは大変勉強になると同時に、自分の力のなさを痛感することにもなり、もっともっと勉強しなければと身が引き締まりました。
治療の魅力に心ひかれる
整骨院では、痛みや不調に苦しんでいる患者さまと向き合う日々を過ごす中、ある患者さまから、「先生のおかげでどんどん良くなっていてびっくりしています。治らないとあきらめていたのですが希望を持つことができました。」と涙目で言ってもらった時に、私の中に熱くなるものを感じたのです。
不調のせいで沈んでしまっていた心に希望が見えたことで、また頑張ろうと前向きになってもらえた姿を見た時に、トレーナーを目指していた私でしたが、治療のすばらしさに触れることができました。
もっと多くの不調に困っている方の役に立ちたいと強く思うようになり、その思いを形にできる「治療」にどんどん心を奪われていきました。
友のピンチと私の挑戦
そんなある日、ともに開業を目指していた同級生の友人から、ある事情から開業をあきらめると話がありました。その一言に驚き、何とも言えない寂しい気持ちになりました。
開業という夢に向かって苦しくてもつらくても頑張っていた姿を見てきているので、なんとか力になることはできないものかと考えた結果、開業を断念しかけていた親友を助けることができて、自分の力も試せると思い友人の地元の京都で開業するという決心をしました。
私にとって見ず知らずの土地で、治療家としての新たな挑戦をすることになったのです。
整骨院、はじめました
開業してからは別の土地から来た私を、多くの方が受け入れてくださり、その地域のたくさんの方々と交流を持ちながら、順風満帆に楽しく幸せに仕事をする毎日を過ごしました。
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プロとしてのトレーナー活動
開院後しばらくして滋賀のフットサルクラブのトレーナーをしてほしいとオファーを受け、京都に来たことでできていなかったトレーナー活動を再び始めることもできました。
そこでは平日、練習が終わった午前0時から選手のケアを始め、終わるのが夜中の2時になることも多く、そこから原付で京都まで帰ってくると寝るのが4時を回ります。
次の日も朝からまた仕事という大変な日も多くありましたが、いくら苦しくても、やりがいをとても感じていたので、楽しめました。
自分の中に眠っていた、スポーツ選手のケアをしたい。という思いがだんだんと大きくなっていることにも気づけたので、このような機会を与えていただいたことに感謝でした。
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夢の全国大会
チームは快進撃を続け、関西で2位という成績を収めたことで全国大会へ行くことが決まりました。選手としてその場所を目指しましたが、叶うことのなかった全国という舞台にトレーナーとして立つことができたのは最高の思い出です。
全国で優勝はできませんでしたが、この経験はもっと選手に寄り添うことのできる存在になりたい。スポーツ選手のケア、パフォーマンスアップのために自分ができる全てを出して選手に貢献したいとより強く思う貴重なものとなりました。
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地元、神戸への思い
そんな時に神戸のチームや知り合いの多くから神戸に戻ってこないのか、戻ってきて欲しいと言われるようになり、ちょうど一人でいる親のことも心配になっていたので神戸に戻る選択肢を考え始めました。
自分の育った神戸にいる多くの人を健康にし、社会貢献したいという思いがだんだんと強くなり、京都で多くの人とふれあい、たくさんの笑顔をもらって幸せに思っていましたが、今度は自分のできる精一杯で地元の神戸に貢献したいという思いが日増しに強くなっていきました。
同僚に相談すると、京都と神戸でより多くの人たちを笑顔にできるように活動していこうと、強く背中を押してもらったので神戸での開院を決意しました。
保険治療の限界。その先に見るもの
神戸に帰ってきて開院するなら今までの経験を生かし、治療とトレーニングの両方で、不調を抱える方からスポーツ選手までの役にたてる院にしたいと思っていました。
メンテナンスやトレーニング指導は保険診療ではできません。同時に保険診療の限界も感じていて、「この治療を取り入れて施術できれば。もっとこうすれば早く調子が良くなるのに。」そう思っていても健康保険を使った治療には制限があるのです。
不調のあったマイナスの状態から調子を良くして、楽に生活できる状態にすること(治療)
調子の良い状態をキープすること(メンテナンス)
不調になる前の状態よりも、さらに良い状態になって健康でいきいきとした生活を送ってもらえること(トレーニング)
を目指したトータルケアができる整骨院を作りたい。
この理想を叶えるには、健康保険を使った限られた治療ではおこなうことができません。
そこで患者様にベストな治療ができるように、「自費治療院」として開院いたしました。
あなたの笑顔がみたいから
私はこの地元神戸で、お身体の不調にお困りの方々を笑顔にする活動をしていきたい。さらに未来ある子供達からプロのアスリートまでスポーツに関わる方をしっかりとケアできる整骨院として、根付いていきたいと思っています。
お身体の不調で悩み苦しんでいる患者様の心が、その不安から解放され笑顔になれるよう、そしてその笑顔の輪を広げていき、幸せがあふれるよう全力でサポートすることが私の使命だと思っています。








